投稿

聖書の話 2026.03.15

【聖書箇所】マタイの福音書26:47~56 【説 教 題】イエスの逮捕と弟子たち 【中心聖句】彼は多くの人の罪を負い、背いた者たちのために、とりなしをする。 (イザヤ53:12) 【説 教 者】黒田 明 【新 聖 歌】251主イエスの御側に   イザヤ書を読んでいくと、その後半のところに「主のしもべの歌」としてまとめることのできる一連の歌が4つあります。 主のしもべの召命(42:1-4):神のご計画を遂行するために選ばれた神のしもべについてが取り上げられている。 主のしもべの使命(49:1-6):地の果てにまで救いをもたらすところの神のしもべについてが取り上げられている。 主のしもべの忍耐(50:4-9):神に忠実であるがゆえに受ける侮辱にも忍耐しておられる神のしもべについてが取り上げられている。 主のしもべの苦難と死(52:13-53:12):私たちの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた神のしもべについてが取り上げられている。   なお、この「主のしもべ」が誰をさしているのか…。旧約聖書を読むイスラエル人にとって、このことは大きな謎でした。というのも、この「主のしもべ」が特定の個人をさしているのか、それとも集団としてのイスラエルをさしているのか、彼らにはわからなかったからです。 一方、キリスト教においては、旧約聖書でこのように預言されている主のしもべとは、イエスさまのことであると、そのように理解しています。というのも、『使徒の働き』8章をご覧いただくとわかるように、主の弟子ピリポはこのときエチオピアの宦官を主イエスへの信仰に導びこうとしていました。しかも、導こうとしていたときのテキストが『イザヤ書』53章でした。すなわち、主のしもべの苦難と死が、この章の中心テーマであったわけですが、まさに彼はこの聖句から始めて、イエスさまこそ旧約聖書で預言されていた主のしもべであることを、明確に説き明かしているからです。 ということで、今回、私たちが取り上げようとしているのは、まさにイザヤ書で預言されていた「主のしもべの苦難」であり、かつその序論ともいえる「イエスさま逮捕」のところになります。はたして、イエスさま逮捕の際、弟子たちのとった態度はどのようなものだったのでしょうか。今回は、イエスさま逮捕の際の弟子たちの姿に焦点を合わせながら、そのと...

集会案内

  【定期集会】  主日礼拝式     日曜日10:30-11:30   祈 り 会     水曜日10:30-11:30  【その他の集会】  子ども英会話     第2、第4土曜日(祝祭日お休み)  時間:10:00-11:00  対象:未就学児から小学生までの子ども(父兄同伴可能)  会費:参加者(大人、子供)それぞれ100円(3才未満は無料)  大人英会話      第2、第4水曜日(祝祭日お休み)  時間:14:00-15:00  対象:大人  会費:一人100円  バイブルクラス    第1,第3金曜日(祝祭日お休み)        時間:14:00-15:00  会費:無し  内容:日本語と英語の二か国語の聖書を使用  句   会     第4金曜日(1,3,5,7,9,11月)※祝祭日お休み  時間:14:00-16:00  対象:俳句に興味のある方  会費:100円  子ども集会  年3回(イースター、夏休み、クリスマス) ※英会話、句会、バイブルクラス、子ども集会のお問い合わせ先  080-6625-3633           グレイ                        

聖書のお話2026.03.08

  【聖書箇所】ヨハネの福音書13:1~15 【説 教 題】神と人とに仕える 【中心聖句】しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。 (マルコ10:43) 【説 教 者】黒田 明 【新 聖 歌】404    日本でも海外でも、またいつの時代でも、権力者は命令1つで人を動かしてきました。強い者が弱い者の上に立って人々を支配してきたのです。日本の戦国時代を例にとってみると、多くの大名たちがこぞって「我、天下を統一せん」と豪語しては、戦いを繰り広げてきたわけです。そして、そのためにはときとして肉親同士がいどみ合い、争い合うこともあったというのです。では、彼らはなぜそこまでして相手を押しのけ、相手に勝とうとまでしたのでしょうか。思うに、「人の上に立つ」というところには非常な名誉があり、逆に「人の奴隷になる」というところにはこの上もない屈辱があるという価値観があったからではないでしょうか。  なお、こういった「主導権争い」、「競争心」といったようなことは何も戦国時代のことだけに限ったことではありません。現代の私たちにとってもそれはしかりであり、子どもたちにとってもまたそれはしかりではないでしょうか。たとえば、公園にある1台のブランコを巡って、誰が先にのるかという主導権争いをしている子どもたちの光景を誰もが目にしたことがあると思うのです。要するに、人間誰しもが、子どものうちから「人に勝つ」、「一番になる」、「一等賞の山を築く」…、そういったことに価値を置く考え方に染まっているのだと思うのです。もちろん、だからと言って私は人間の向上心を否定し、また軽視しているわけではありません。私たちにとって、「切磋琢磨」しながらがんばることは大事なことだと思っています。けれども、一方において人間には自己中心的なところがあり、かつ自分の力で無理やりに人を支配しようとする傾向性がどうしてもあって、そのために私たちの人間関係はぎすぎすしてしまっているのではないかと思うのです。  さあ、そこで今回の聖書のお話は、イエスさまが弟子たちの足を洗われたという、有名な「洗足」のところになります。さっそくですが、人が集団になると必ずといってもいいくらいに起こってくる暗黙の問いかけがあります。それは、「自分たちの中で、...

聖句 書道

イメージ

写真2024.09.22

イメージ

私たちの教会ブログへようこそ!

イメージ
ご 挨 拶   「人生は出会いで決まる」とは、ユダヤ人哲学者マルチン・ブーバーのことばです。人は誰と出会うかで、その人の生き方、人生が決まるというのです。 私の知る限り、イエス・キリストとの出会いによって、多くの人々が喜びと希望と感謝のある新しい人生に変えられています。 そこでいかがでしょうか。あなたもキリストにある新しい人生を私たちの教会で求めてみませんか。 あなたのご来会を、心よりお待ち申し上げております.                              牧師:黒田 明