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聖書の話 2026.03.01

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聖書:ルカによる福音書 第 24 章 13 ~ 35 節 聖句:詩篇 34 篇 18 節: 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者を救われる。 聖歌: 209  慈しみ深き 説教者 関口真紀 「エマオへの途上」 ルオーという画家をご存じでしょうか。絵具を厚塗りにしステンドグラスのような黒の輪郭の重厚なキリストの顔をたくさん描いた画家として有名です ルオーの作品の中に「郊外のキリスト」という絵があります。 この絵は、東京のアーティゾン美術館に収蔵されている作品です。 アーティゾン美術館は、以前はブリジストン美術館として知られ5年前に新しいビルに建て替えられ、名前が変わりました。東京駅の八重洲口から歩いて5分くらいで行ける場所にあります。まだブリジストン美術館だったころ何度か訪ねたことがありますが、行ってみると、小学校や中学校の美術の教科書で見慣れた多くの絵が展示されていて、ああこの絵だったのか、と何か懐かしさを覚える美術館です。  このルオーの「郊外のキリスト」ですが、ルオーは宗教画家ですから、この絵についても宗教的な解釈がいろいろと語られています。    ある牧師さんは 「ルオーは次第に人々の生活の中にいるキリストを描くようになります。その一つに『郊外(場末と訳すべきでしょう))のキリスト』があります。真夜中の街はずれの路上で行くあてがないのか、泊まる宿も見つからないのか、立ち尽くしている二人の姿(夫婦かそれとも親子か)、そのそばに寄り添うように立っている一人の人。その人物は二人よりずっと大きな姿で描かれています。いったい誰なのか? クリスマスが近づくにつれて、この絵を思いだします。あの夜、泊まる場所もなかったヨセフとマリア、その二人のそばに寄り添っていた人が確かにいたのです。「その名はインマヌエル(神われらと共にいましたもう)」(日本キリスト教団 江古田教会 ホームページから)   と語っています。   さて、今日読んだ聖書の箇所は「エマオへの途上」と呼ばれる有名な箇所です。 イエスの死に失望し、エルサレムから故郷のエマオへ帰る途中の二人の弟子に、復活したイエスご自身が近づき、一緒に道を歩まれる。 彼らは最初イエスだと気づきませんが、イエスは彼らの悲しみや疑問に耳を傾け、聖書を解き明かし、食事を共にすることで、彼...

集会案内

  【定期集会】  主日礼拝式     日曜日10:30-11:30   祈 り 会     水曜日10:30-11:30  【その他の集会】  子ども英会話     第2、第4土曜日(祝祭日お休み)  時間:10:00-11:00  対象:未就学児から小学生までの子ども(父兄同伴可能)  会費:参加者(大人、子供)それぞれ100円(3才未満は無料)  大人英会話      第2、第4水曜日(祝祭日お休み)  時間:14:00-15:00  対象:大人  会費:一人100円  バイブルクラス    第1,第3金曜日(祝祭日お休み)        時間:14:00-15:00  会費:無し  内容:日本語と英語の二か国語の聖書を使用  句   会     第4金曜日(1,3,5,7,9,11月)※祝祭日お休み  時間:14:00-16:00  対象:俳句に興味のある方  会費:100円  子ども集会  年3回(イースター、夏休み、クリスマス) ※英会話、句会、バイブルクラス、子ども集会のお問い合わせ先  080-6625-3633           グレイ                        

聖書のお話2026.03.08

  【聖書箇所】ヨハネの福音書13:1~15 【説 教 題】神と人とに仕える 【中心聖句】しかし、あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。 (マルコ10:43) 【説 教 者】黒田 明 【新 聖 歌】404    日本でも海外でも、またいつの時代でも、権力者は命令1つで人を動かしてきました。強い者が弱い者の上に立って人々を支配してきたのです。日本の戦国時代を例にとってみると、多くの大名たちがこぞって「我、天下を統一せん」と豪語しては、戦いを繰り広げてきたわけです。そして、そのためにはときとして肉親同士がいどみ合い、争い合うこともあったというのです。では、彼らはなぜそこまでして相手を押しのけ、相手に勝とうとまでしたのでしょうか。思うに、「人の上に立つ」というところには非常な名誉があり、逆に「人の奴隷になる」というところにはこの上もない屈辱があるという価値観があったからではないでしょうか。  なお、こういった「主導権争い」、「競争心」といったようなことは何も戦国時代のことだけに限ったことではありません。現代の私たちにとってもそれはしかりであり、子どもたちにとってもまたそれはしかりではないでしょうか。たとえば、公園にある1台のブランコを巡って、誰が先にのるかという主導権争いをしている子どもたちの光景を誰もが目にしたことがあると思うのです。要するに、人間誰しもが、子どものうちから「人に勝つ」、「一番になる」、「一等賞の山を築く」…、そういったことに価値を置く考え方に染まっているのだと思うのです。もちろん、だからと言って私は人間の向上心を否定し、また軽視しているわけではありません。私たちにとって、「切磋琢磨」しながらがんばることは大事なことだと思っています。けれども、一方において人間には自己中心的なところがあり、かつ自分の力で無理やりに人を支配しようとする傾向性がどうしてもあって、そのために私たちの人間関係はぎすぎすしてしまっているのではないかと思うのです。  さあ、そこで今回の聖書のお話は、イエスさまが弟子たちの足を洗われたという、有名な「洗足」のところになります。さっそくですが、人が集団になると必ずといってもいいくらいに起こってくる暗黙の問いかけがあります。それは、「自分たちの中で、...

聖句 書道

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写真2024.09.22

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ご 挨 拶   「人生は出会いで決まる」とは、ユダヤ人哲学者マルチン・ブーバーのことばです。人は誰と出会うかで、その人の生き方、人生が決まるというのです。 私の知る限り、イエス・キリストとの出会いによって、多くの人々が喜びと希望と感謝のある新しい人生に変えられています。 そこでいかがでしょうか。あなたもキリストにある新しい人生を私たちの教会で求めてみませんか。 あなたのご来会を、心よりお待ち申し上げております.                              牧師:黒田 明