聖書のお話2025.11.02
聖書:使徒16:16-33
題:「家族の救い」
中心:主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
使徒16:31
賛美:434 語り告げばや
説教者:グレイ恵子信徒教師
おはようございます。今日は、初代教会の働きの5回シリーズの2回目です。特に、今日注目したいことは、「家族の救い」というテーマです。家族の救いは、一般的に難しいと言われています。私たちのまわりでも、自分だけがクリスチャンという人たちが、多くいるのではないでしょうか。せめて自分だけでも信仰を貫こうと、必死に教会生活、日常生活をされている人たちがいることでしょう。さて、今日のお話しは、どのような希望を私たちに与えてくれるでしょうか。
時は、紀元50年代のころ、パウロがシラスと一緒に、第ニの伝道旅行に出たときのことです。パウロは、先のアジアでの伝道旅行で、主のみことばを伝えた全ての町々を訪れ、兄弟姉妹がどうしているか励ましたいとの思いを抱き、シラスを伴い教会から祈られ、旅に出てゆきました。それは、パウロたちが、トロアスというところに来た時のことです。パウロは幻をみます。その中で、一人のマケドニア人が「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」(16:9)と懇願したのです。それによって、パウロは、マケドニヤに行くことが主の思し召しと受け取り、方向を変え、アジアからヨーロッパと福音宣教の旅を始めることになったのです。
彼らが行きついたところは、マケドニヤ地方の主要な都市ピリピでした。そこには、ユダヤ人の会堂がなかったので、婦人たちが祈るために集まっている川岸に行き、彼女たちに、神の福音を語りました。すると、その中にリディアという高価な紫布を商う婦人がいました。彼女は、異邦人でありましたが、神を恐れる婦人で、パウロが語るイエス・キリストの救いを信じ受け取ることが出来たのです。そして、それは、彼女だけに限らず
その救いは、彼女の家族までに及び、全員がバプテスマを受けたことが記されています。
のちに、リディアの家はピリピ宣教の拠点となり、パウロたちの伝道旅行を祈りと献金で支えるようになったとのことです。
さて、今回の家族の救いは、これだけではありません。パウロたちがまたもや祈りの場所に行こうとしたときのことです。ある占いの霊に疲れた女が彼らにまとわりついてきました。それが、何日も続き、困り果てたパウロは、彼女の宿す悪霊に対し、彼女から出てゆくように命じました。すると、霊は彼女から出て行き、彼女は占いの霊から解放され自由の身となったのです。しかし、そのことを喜ばない人たちがいました。彼らは、彼女の占いの力でお金を儲けていた主人たちでした。収入源が立たれ憤った彼らは、パウロとシラスを捕らえ、町の役人たちの所に彼らを連れて行き、パウロたちの言動を訴えたのです。町の人達もその訴えに賛同し、パウロとシラスは鞭うたれ、牢やに入れられ厳重に監視される身になってしまったのです。
二人には、鎖や足枷もはめられ他の囚人と共に、身動きもできない状態にさせられてしまいました。鞭でうたれた体の傷も痛んでいたでしょう。そんな絶望的な中、パウロとシラスが出た行動は、祈りと賛美だったのです。まわりの囚人たちは、静かにそんな彼らに聞き入っていました。すると突然、思わぬことが起きました。大きな地震と共に、全ての囚人たちの鎖が外れてしまったというのです。彼らは自由の身になったのです。
一方、地震で目を覚ました看守は、あわてて囚人のいる牢に駆け付けました。そして、そこで目にした光景は、あけ放たれた牢の扉でした。ああ、囚人たちが逃げてしまった!という彼の即座の判断が彼を自殺へといざなったのです。当時、死刑囚を逃すと刑罰が伴います。その前に看守は、死をもってお詫びしようとしたのです。しかし、その時、パウロの叫びが看守の自害をとめたのです。「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」
パウロたちや他の囚人たちは、なぜこの時逃げなかったのでしょうか。それは、皆さんの想像におまかせしますが、このことによって、看守は、パウロとシラスの前にひれ伏すようになり、次の問答へと導かれたのです。「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか」(16:30)ここで、看守は囚人パウロとシラスを「先生」と呼びかけています。看守の二人に対する見方が変わったのです。彼らを非常に敬っているのが伺えます。この看守の問いに対して、二人はつぎのように答えたのです。これが、今日の中心聖句です。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)
このパウロのことばに、看守は、家族と共に、パウロを通して語られるイエス・キリストの救いの福音に耳を傾けました。その結果、その夜を移さずに、家族全員が主イエスをを信じバプテスマを受けた様子が今日の聖書には書かれています。このように、今日は家族の内の一人を通して、救いが家族全体に及んだお話を二つ読ませて頂きました。主イエス様は、人の救いが家族全体に及んで行く事を願われ、また、導いておられることがここからもわかるのではないでしょうか。救いの方法は、その家族によってそれぞれあるでしょう。時には、家族以外の人の力が必要な場合があります。しかし、一番身近なキリスト者としての生き様がおおきな力になることもあるでしょう。
私は最近、イギリスで介護の仕事をしていたクリスチャンの女性,真知子さんと知り合いになりました。彼女は、一年の約束で父親から許可をもらって働いていました。一年が過ぎようとし時、彼女には、もう少しイギリスに滞在して聖書の学びをしたいという強い思いがありました。しかし、父親との約束があったのでやむなく断念し、日本に帰ったそうです。すると、翌年父親の末期がんが見つかったそうです。彼女はその時学んでいた日本語学校から一か月間暇をもらい、父親の看病させてもらったとのことです。それは、ちょうど、なくなる一週間前のこと、父親が、彼女に、「真知子、おとうさんも真知子の信じているイエス様を信じる」といって、イエス様を信じたとのことです。あの時、帰国して良かったとつくづく思ったと、彼女は,私へのメールに書いていました。
どうでしょうか、みなさん、私たちの中には、家族の救いをもう諦めている人もいるかもしれません。ひっとすると、そこまで願わないかもしれません。今、いちどこの機会に家族の救いを真剣に考え、まず、その為に祈るものとさせて頂きたいと願うのです。その道、方法は、主なる神にお導き頂きましょう。主からの豊かな祝福をお祈り致します。
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
使徒16:31