聖書のお話2026.06.14
【聖書個所】ルカの福音書4:1~13
【説 教 題】荒野の試み
【中心聖句】イエスは悪魔に答えられた。「『あなたの神である主を礼拝しなさい。
主にのみ仕えなさい』と書いてある。」(ルカ4:8)
【説 教 者】黒田 明
【新 聖 歌】458光の高地に
今回のテーマは、「試み」ということですが、…。調べによると、そのギリシャ語「ペイラスモス」には、大きく分けて次の2つの意味があります。
神が人を試みるということ。この場合、「信仰の試練」という表現がよく使われる。
悪魔が人を試みるということ。この場合、「悪魔の誘惑」という表現がよく使われる。
では、神はなぜ私たちに試練を与え、一方、悪魔はなぜ私たちを誘惑するのでしょうか。
それが神からの場合、
・その人を訓練するため
・その人の信仰を成長させるため
・その人の信仰的決断を促すため
・その人が神から愛され、期待されているがゆえに
それが悪魔からの場合
・その人が罪を犯すように仕向けるため
・神の目的からその人をそらすため
・悪魔にとっては、その人が邪魔な存在であるがゆえに
ところで、ヨハネの手紙第一2:16をご覧ください。人を誘惑してくるときの悪魔の常套手段が何であるのかが、ここからわかります。
肉の欲(基本的欲求がらみの欲):~がしたい(want to do)
目の欲(視覚を通しての欲):~がほしい(want to have)
暮し向きの自慢(自尊心がらみの欲):~でありたい(want to be)
しかし、誤解していただきたくないのですが、私は欲それ自体が悪いと言っているのではありません。むしろこれらのものは、本来、神からのものであり、喜ぶべきものでもあるのです。しかし、悪魔はこのような人間の欲に巧みに働きかけてきては、神のみこころと関係のない欲望を起こさせ、ついには神のみこころと関係なく行動するよう仕向けてくるのです。
たとえば、創世記3:6をご覧ください。ご承知のとおり、ここには悪魔の誘惑を受けたアダムの妻エバのことが取り上げられています。そして、ここのところを注意深く読んでいくと、確かに悪魔の常套手段が「肉の欲」「目の欲」「暮し向きの自慢」であったことがわかるのです。
①「食べるのに良く」:つまり、「肉の欲」。悪魔は基本的欲求がらみの欲に働きかけてきては、神のみこころと関係なく、「これを食べたらどうだ」と誘惑してきた。
②「目に慕わしく」:つまり「目の欲」。悪魔は視覚を通しての欲に働きかけてきては、神のみこころと関係なく、「見てごらん、おいしそうだろう」と誘惑してきた。
③「賢くする」:つまり「暮し向きの自慢」。悪魔は自尊心がらみの欲に働きかけてきては、神のみこころと関係なく、「これで賢くなれる」と誘惑してきた。
その結果、残念ながらエバの場合、彼女の心は神のみこころにではなく、悪魔のささやきにとらえられてしまいました。そして、彼女はついに罪を犯すこととなってしまったのです。
ところで、本日の個所ですが、ここには悪魔の誘惑を受けたイエスさまのことが取り上げられています。しかも、エバのときと同様、悪魔はまたしても「肉の欲」「目の欲」「暮し向きの自慢」という3つの誘惑をイエスさまにもしてきたのです。
第1の誘惑(1~4節)
・悪魔は、40日間の断食をして空腹を覚えられたイエスさまに対して、「この石をパンに変えたらどうだ」と誘惑してきた。つまり、基本的欲求がらみの欲(肉の欲)のところを悪魔はついてきた。
・これに対して、イエスさまは「人はパンだけで生きるのではない」(申命8:3)との聖書のことばを悪魔につきつけた。すると、これは手ごわいということで、悪魔は次の手段をこうじてきた。
第2の誘惑(5~8節)
・悪魔は、この世の繁栄をイエスさまに見せ、「私を拝むなら、これらのすべてをあなたにあげよう」と誘惑してきた。つまり、視覚を通しての欲(目の欲)のところを悪魔はついてきた。
・これに対して、イエスさまは「あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさい」(申命6:13、10:20)との聖書のことばをつきつけ、またしても悪魔をやり込めた。しかし、敵もさるもの。悪魔は次の手段をこうじてきた。
第3の誘惑(9~13節)
・悪魔は実に巧妙であるというか、聖書のことばによって誘惑を退けてきたイエスさまに対して、悪魔もまた聖書のことばを引用してきて、「聖書のことばにこうあるのだから、神を試してみよ」と誘惑してきた。確かに、そのような奇蹟が起これば、人々の絶大な賞賛を期待できる。つまり、自尊心がらみの欲(暮し向きの自慢)のところを悪魔はついてきた。
・しかし、これに対してイエスさまは「あなたがたの神である主を試みてはならない」(申命6:16)との聖書のことばを悪魔につきつけた。すると、聖書のことばによって完全武装しているイエスさまを誘惑するのは大変に困難であることを知った悪魔は、しばらくの間、イエスさまから離れていったのである。
以上、悪魔の誘惑がどのようなものであるのか、皆さんにもおわかりいただけたのではないでしょうか。そして悪魔のこの誘惑は、何も聖書の中だけの出来事ではありません。私たちの毎日の生活の中にも起こってくる現実の問題です。しかも、この霊的な存在である悪魔に対して、自分の力で勝つことのできる人がどれくらいいるでしょうか。私たちは自分自身の弱さを知っているものとして、聖書のことばで完全武装なさったイエスさまのように、聖書のことばに親しんで心に蓄え、また聖書と祈りを通して神との親しい交わりをいただき、このようにして神の武具を身につけさせていただくことによって、悪魔の誘惑から守られ、また勝利していきたいと思うのです。
【恵みの分かち合い】
1.人が何かを「すること」(または「しないこと」)を動機づけるのは「欲・得・楽」である言われています。あなたは、どう思いますか。
2.悪魔の誘惑を打ち破るためのあなたにとっての教訓が、きょうのところにありましたか。分かち合ってみましょう。