聖書のお話2026.08.09

 【聖書箇所】ヨハネの福音書6:1~15

【説 題】五千人の給食の奇跡

【中心聖句】イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。(ヨハネ6:35)

【説 者】黒田 明

【新 歌】206飼い主わが主よ



 今回、私たちが取り上げようとしている五千人の給食の奇跡は、ヨハネの福音書に記されている七つの奇跡(しるし)でいうと四番目のものです。また、イエスさまの復活の記事を別にすると、四福音書のすべてに記録されている唯一の奇跡でもあります。なお、今回の奇跡が起こりましたのは、イエスさまの公生涯からいうと、三度めの過ぎ越しの祭りの時期でした。ということは、どういうことが言えるでしょうか。実に、このときからちょうど一年後の過ぎ越しの祭りのとき、イエスさまは十字架におかかりになられたのです。

 ということで、皆さまにはそのようなことをご理解いただきながら、これから語る聖書のお話に耳を傾けていただきたいのです。さて、イエスさまには病気を癒す力があるとの評判がガリラヤの各地に広まり、イエスさまが行かれるところどこにでも大勢の人々が押し寄せるようになりましたが、そんなある日のことです。この日も、イエスさまのあとを追いかけて来た大勢の群集がガリラヤ湖の丘になっている草原に集まってきました。といっても、彼らは目に見えない霊的真理を求めてイエスさまのあとを追いかけて来たわけではありませんでした。むしろ、目に見える物質的恩恵を受けようとしてイエスさまのあとを追いかけて来たのです。なお、イエスさまはというと…。そんな彼らではありましても、イエスさまはなおも彼らを深くあわれみ、よき羊飼いとして、彼らを愛されました。彼らの病気を癒し、霊的真理を教え、今回は彼らの空腹をも満たされたのです。しかも、少年が自分のためにと用意していた五つのパンと二匹の魚…、たったこれだけのものでしたが、イエスさまの手に握られ、祝福の祈りがささげられ、こうして祝福されたパンと魚とを弟子たちが配り始めると、何と、男の数だけで五千人ということですから、そこにいた女性や子どもたちの数も合わせると、その数倍の人々がそれらを食べることができ、しかもみなが満腹し、さらに驚くべきことには十二のかごいっぱいに余りが出たというのです。

 なお、今回の奇跡は空腹であった群集に対するイエスさまの深いあわれみの心から行なわれたものであったことは確かなことでしたが、同時にそれは弟子たちを訓練するためのものでもありました。というのも、6節のところで、イエスさまは「ピリポをためしてこう言われた」とあるからです。すなわち、そこはへんぴな所でした。夕方だというのに、今だ大勢の人たちがそこにはいました。お腹もすいていました。イエスさまは、そのような状況の中でピリポをためしてこう言われたのです。「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか」と…。

 すると、計算の速いピリポはすぐさま頭の中で人数に見合う食糧の見積もりをたてると、こう言いました。「一人ひとりが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません」と…。つまり、彼はきわめて現実的な考えから、これではまかないきれないと判断したわけです。すると、今度はフットワークの軽い行動派のアンデレが、食糧のありそうな所をしらみつぶしにチェックしました。すると、五つのパンと二匹の魚をもつ少年を発見することができたものですから、すぐさまイエスさまのもとへ連れては行きましたが…。ピリポと同様、彼もやはり、これが何の足しになるだろうと判断したわけです。

 要するに、思考派タイプのピリポにしろ、行動派タイプのアンデレにしろ、彼らに共通して足りなかったのは「信仰」でした。彼らのすばらしさは「考えることができる」、また「行動することができる」ことであったわけですが…。イエスさまがそんな彼らに期待しておられたのは、そこに信仰を働かせることができるかどうかということだったのです。すなわち、信仰を働かせて考えることができ、また信仰をもって行動することができる弟子になることが、イエスさまにとっての切なる願いだったのです。そして、イエスさまの願いは、今も変わることがありません。イエスさまの願いは、私やあなたが、いついかなるときにも、信仰を働かせて考え、信仰をもって行動していく主の弟子とされていくことなのです。

 最後になりますが、3節と15節をご覧ください。忙しいイエスさま、大きなことをなしたイエスさまの記事の前後の出来事として、「静まりのとき」(Quiet Time)をもっておられたイエスさまのお姿がここには描かれています。つまり、イエスさまは父なる神さまとの親しい交わりを常に大切にされてこられたということです。また、イエスさまにとって「静まりのとき」は、慢性的な疲れから守られる重要な鍵でもあったということです。

そこでいかがでしょうか。願わくは、私たちもその必要性を感じて、意識的に時間を確保し、父なる神さまとの親しい交わりをもつようにしていきたいと思うのです。とりわけ、私たちには4つの交わりが大切です。それは、神との交わり、家族との交わり、教会メンバーとの交わり、そして未信者との交わりです。中でも、神との交わりは特に大切です。実に、このようにして私たちが神との親しい交わりをしっかりと確立していくなら、自分が変えられていくからです。そしてこのようにして自分が変えられていくと、やがては家族が変わり、教会が変わり、未信者さえもが変わってくることを期待できると思うのです。

 ということで、私たちはますます父なる神さまとの親しい交わりを大事にする主の弟子、また父なる神さまとの親しい交わりによって養われた信仰…、その信仰を働かせて考え、行動していく主の弟子にされていきたいと思うのです。



【恵みの分かち合い】

1.今回の出来事を通し、あなたにとってイエスさまとはどのようなお方ですか。

2.どのような弟子にされていくことが、主のみこころでしょうか。

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