聖書の話 2026.05.10
【聖書箇所】歴代誌 第Ⅱ 34章(34:1-7)
【説 教 題】聖書と生活
【中心聖句】みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。( ヤコブ1:22)
【説 教 者】黒田 明
【新 聖 歌】316御言葉なる
皆さんにお尋ねいたしますが、聖書とは何でしょうか。歴史書でしょうか。文学書でしょうか。それとも神学書でしょうか。確かに、聖書は歴史書としても、また文学書としても、あるいは神学書としてもすぐれた書物であることに間違いはありません。けれども、私たちクリスチャンは、聖書を単なる書物とうレベルには置いていません。「信仰と生活の唯一の基準」というところに聖書を位置づけているのです。たとえば、私たちが属している福音伝道教団の「教憲」第一条には、次のようにあります。「旧新約聖書66巻は、神の霊感によるもので誤りのない神のことばであり、救い主である主イエス・キリストを示し、信仰と生活の唯一の基準である」と…。要するに、聖書をそのように信じ、告白し、またそのように生きていこうとしているのが私たちの団体なのです。
本論Ⅰ.ヨシヤ王について
そこで今回は「聖書と生活」と題して、みことばに生きることの大切さを旧約聖書の中から学んでみたいと思うのです。まずは今回の中心人物であるヨシヤ王についてお話すると、彼は父アモンの亡き後、8歳で南ユダ王国の16代目の王となり、31年間、その国を統治しました。なお、彼についての神からの評価ですが、2節をご覧いただくと、「彼は【主】の目にかなうことを行い、父祖ダビデの道に歩み、右にも左にもそれなかった 」とあります。要するに、彼は偶像礼拝を追放し、神の律法を守り、神に立ち返るよう人々に勧めたという点で、神の目にかなっていたのです。
というのも、当時、ユダ王国においては主の宮と律法の書への人々の関心が非常に低かったからです。では、どれくらい低かったのかというと、たとえば、主の宮ではガラクタと律法の書とがいっしょにしまい込まれていたというのですから、そこからも彼らの宗教心の低さがわかるのではないでしょうか。そこで、その宗教改革のために立ち上がったのがヨシヤ王であり、彼はエルサレムから始めて、実に、広い範囲にまで改革運動を推進しました。調べによると、彼が16歳のとき、まことの神への自覚的な信仰の歩みを開始しました。20歳のとき、国内の偶像を一掃しました。そして26歳のときに神殿の修理に着手し、その際、そこで発見された主の律法の書(たぶん、申命記)が彼の宗教改革を決定的なものにしたようです。
本論Ⅱ.ここからの教訓
なお、宗教心の低下していたこの時代からの教訓ですが、いくつかあります。第1としては、そのような時代の中にさえ真の預言者エレミヤとゼパニヤとフルダ、また大祭司ヒルキヤがおり、ヨシヤ王はそんな彼らの信仰のよい影響と感化を受け育つことができたという幸いです。そしてヨシヤ王がこのようにして主の目にかなうことを行ない、先祖ダビデの道に歩み、右にも左にもそれなかった、その背景にはそのような人物たちがいたということを思うとき、私たちもそうであって…。私たちが神を求め、信仰が与えられ、このようにして教会生活が送れるようになった、その背景には信仰のよき模範者がいたということ、そしてこのことは神が与えてくださった大きな恵みであったということを覚えたいのです。
続いて第2としては、ヨシヤ王はみことばによってもよい影響と感化を受け実行することができたという幸いです。すでに申し上げたとおり、ヨシヤの時代、主の宮は荒れるままに放置され、また神礼拝はないがしろにされていました。しかし、ふとしたことからガラクタにまぎれて放置されていた主の律法の書、つまりはほこりをかぶっていた聖書を祭司ヒルキヤが発見し、またこの重大な発見がなければヨシヤ王の徹底した宗教改革には至らなかったということを思うとき、このことはやはり今日においてもしかり…、聖書がガラクタにまぎれて放置されていたり、ほこりをかぶっていたのではよろしくないというか、むしろ、聖書を読むにしても、またしまうにしても、これを大事にしていこうとする姿勢が、今日、問われているのではないでしょうか。
さらには、「みことばの実行」という点においても、ヨシヤ王はただ聞くだけの者ではありませんでした。みことばを聞くと、それを実行する者ともなったという幸いです。ただし、人間的ながんばりでそれをしようとすれば、誰であっても必ずくたびれてきます。そしてそれは聖書の人物でさえ例外ではありませんでした。そこで私たちが知るべきことは、必要な力や導きを与えてくださるのは、キリストの御霊とも呼ばれている聖霊であるということ…。すなわち、喜びと勝利のある信仰生活の鍵は聖霊にあるということを覚え、日々、聖霊にゆだねていくお互いでありたいと思うのです。
また、Ⅰヨハネ3:18のおことばを心にとめたいと思うのです。次のようにあるからです、「子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう」と…。加えて、チャールズ・スインドールのことばを引用したいと思うのですが、彼は私たちの行動を促す意味で次のように言っているのです。「どのような人が、海で溺れている人を助けることができるでしょうか。自分の服が水に濡れては困ると考えたら助けられません。また、陸からいくら声をかけても溺れている人の助けにはなりません。海の中に入って、自分自身が濡れなくては助けにならないのです。私たちは人を助けると言って口だけで終わってはいないでしょうか。よそよそしい態度で人に接してはいないでしょうか。本当に人を助けたければ、行動が伴わなければなりません」と…。
【恵みの分かち合い】
1.誰があなたの信仰によい影響と感化を与えてくれましたか。牧師でしたか、信徒でしたか。
2.Ⅰヨハネ3:18のみことばから、あなたはどんなことを教えられますか。