聖書の話 2025.12.21
聖書:マタイ2:1-12
題:「贈り物」
中心聖句:母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開いて、
黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」マタイ2:11
賛美:96 われらは来たりぬ 説教者:グレイ恵子信徒教師
おはようございます。今日は、4本のアドベント・キャンドル全てに火が灯され、多くの教会は、今日、クリスマスを覚え、礼拝をお捧げしています。当教会は、すでにクリスマス礼拝を主にお捧げしていますが、改めてクリスマスの御挨拶をお隣の皆さんと共にかわしましょう。「クリスマスおめでとうございます!」
さて、皆さんは、「贈り物」と聞きますと、何を一番先に思い浮かべるでしょうか。今の時期ですと、お世話になった方にお礼に差し上げる贈り物、お歳暮を思い浮かべている方々もいるかもしれません。お歳暮は、色々お世話になった方々に送る、日本の習慣ですが、他には、その人を喜ばせたい、一緒にお祝いしたいという意味のものもあります。たとえば、クリスマス・プレゼントや、誕生日プレゼントなどがあるでしょう。
今から約50年前のこと、私が一人でイギリスの語学学校で学びをしているとき、イギリスでの初めてのクリスマスを体験することが出来ました。ホームステイ先でのクリスマスの朝、起きてみると、サンタクロース用に用意した枕カバーには、家族それぞれに、プレゼントが入っていました。そして、なんと、その中で一番沢山入っている枕カバーには、'Keiko'、と私の名前が書かれていたのです。あとで知ったことは、その村の方々が、遠い日本から一人来ている私のことを知り、プレゼントを届けてくれていたようです。この時の心温まる感動を今も忘れることが出来ません。
さて、今日の聖書のお話しの中にも、贈り物が出てまいります。それは、なんのために、どのようにして届けられたものだったのでしょうか。ご一緒に見て見りましょう。
それは、ユダヤのヘロデ王の時代のことです。今のイラン、イラクのあたりとされる東の地方から数人の博士たちが、イエス様を礼拝しにエルサレムにやって来ました。彼らは、占星術の学者で、キリストがユダヤ人の王として生まれたことをあらわす星が空に昇ったのを見つけ、エルサレムにやってきたのです。しかし、町の人々はもとより、王自身もそのことを知らないでいたのです。それによって、王や町の人々は、喜ぶどころか、こころを動揺させてしいました。自分の地位を危うんだ王は、町の律法学者や祭司長たちを呼び集め問いただし、ミカの預言に基づき、イスラエルを牧する王が、ベツレヘムで生まれることを突き止めたのです。
この時のヘロデの心の中は、不安と恐れでいっぱいでした。これまでも、自分の王としの地位を守るために、身内のものをも殺害する人物でした。ヘロデ王は、博士たちをベツレヘムに送り出す前に、博士たちからいつ頃その星を見たかを詳しく聞き、彼らに次のように語っています。「行って幼子について詳しく調べ、見つけたら知らせてもらいたい。私も行って拝むから」(2:8)しかしながら、この言葉は、口先だけのことで、この時、すでに、御子イエス・キリストの殺害を考えていたようです。しかし、博士たちが、王の所に戻らず、御子の居場所を知らせなかったことにより、王の怒りが燃え、ラマの2歳以下の男の子全員の無差別殺害(2:16-18)へと発展して行ったことがこの章の後半で知ることができます。
さて、ベツレヘムは、エルサレムからさらに南へ8キロメートルもあります。しかも、ベツレヘムのどこに幼子がいるのかもわかりません。でも、彼らは、救い主に会いたい一心で出発しました。するとどうでしょう。あの東方で見た星が再び現れ、彼らを導いたのです。そして、ついに幼子の場所を突き止めたのです。彼らの心は、大きな喜びで満たされました。博士たちはどうしたでしょうか。今日の11節にはつぎのようにあります。「それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(マタイ2:11)彼らが一番最初にしたこと、それは、幼子イエス・キリストの御前にひざまづき、主なる神を礼拝することでした。そして、つぎに、博士たちは、東方からの宝の品々を幼子イエス様にお捧げしています。黄金は王、乳香は神、そして没薬は十字架を象徴し、イエス様にとって、相応しい、喜ばれる贈り物となったのです。
さて、私たちは、何をイエス様に贈り物としてお献げすることができるでしょうか。各自にとっての贈り物はちがっているかもしれません。しかし、それで、良いのではないでしょか。私は、聖母幼稚園で、英語のクラスを持たせて頂き、長くも15年以上になりますが、そこで持たれる卒園式にいつも感動をしています。式の初めに、卒園児がそれぞれ蝋燭の光を灯し、会堂に一人一人入場して来ます。そして、祭壇の十字架の前に来て深いおじぎをして、それぞれの蝋燭の火をお捧げしています。それらのともしびは、それぞれ、違ったガラスの器にいれらており、どれ一つとして同じものはないのです。全員が祭壇に捧げ終えて、はじめて卒園式がはじまるのです。私にとっては、一番感動的な場面です。
私たちは、それぞれが神様からから違った形の器を与えられています。それは、壊れやすい器であるかもしれませんが、イエス様の救いの光を頂き、それを持ち運ぶ器とさせて頂けたらと願うのです。今日、博士たちが危険を冒しながら遠い東から運ん出来た宝の贈り物のように、このクリスマス、私たち自身を主への贈り物としてお献げ出来たらと願うのです。神からの最高の贈り物、イエス・キリストの恵みと祝福が皆さんの上に豊かに臨みますようお祈り致します。 クリスマスおめでとうございます。
母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開いて、
黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」マタイ2:11