聖書の話 2026.03.15
聖書:マタイ26:36-46 題 : 「自ら十字架の上で」 中心聖句:キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。 I ペテロ2:24 賛美:105栄えの冠を 説教:グレイ恵子 信徒教師 おはようございます。受難節も今日で、半ばとなりました。みなさん、如何お過ごしでしょうか。日々の忙しさの中、イエス様のことが頭から抜けてしまっているときもあるかもしれません。その為にも、このようにして、日曜日を安息日として、主にお捧げすることは大切なことでしょう。この礼拝式を通し、私たちの信仰をリセットさせて頂けたらと願います。 さて、今日の舞台は、ゲッセマネ、イエス様が弟子たちと最後のお食事をし、いよいよ逮捕されて行くその直前の場面です。ゲッセマネは、エルサレム城壁東側のキドロンの谷をへだてたオリーブ山の山麓ある園です。「ゲッセマネ」ということばには、「油絞り」という意味があり、極限の苦しみや祈りの場、受難の象徴として知られています。この一帯にはオリーブ畑が広がっていたということで、現在も樹齢2千年を超える木が残っているということです。これらの木々たちは、当時のイエス様の叫び、苦しみを聞いていたのでしょうか。 イエス様と弟子たちは、エルサレムに来るとよくこの園に来ていたようで、その日も弟子たちと共にこの園に向かいました。しかし、この祈りの時は、いつもとは違っていました。今回は、イエス様が弟子たちとともに持つ最後の祈りの時であり、また、目前に控えた十字架への大切な準備の祈りとなったのです。イエス様は、この後、すぐ捕らえられ、その日のうちに、十字架にお掛かりになるのです。しかし、弟子たちは、そのことを十分わかっていなかったようです。イエス様の持たれていた緊迫感と弟子たちの持っていたそれとには、大きな違いを今日の場面から伺い知ることができるのではないでしょうか。 さて、イエス様は、ゲッセマネの園に来ると、弟子たちをその場に留まらせ、ご自分は、祈るためにさらに進んで行かれました。それは、弟子たちの所から石を投げて届くほどの距離であったようです。その時、今日の福音書によると、イエス様は、かつて、イエス様が山の上で栄光の御姿...