聖書の話 2025.12.07
聖書:ルカ1:26-38、マタイ1:18-25 題:ふたりぼっち 中心聖句:「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(マタイ1:23) 賛美:255 主はわが牧者 説教者:グレイ恵子信徒教師 おはようございます。今日は、アドベント第二主日の礼拝をお捧げしています。先週は、旧約聖書の中から、暗闇の中に希望を、苦しみの中に解放をもたらす、救い主の誕生を イザヤの預言から教えて頂きました。神の民は、預言の言葉を耳にし、その日が来るのを、今か今かと待ちわびていました。そして、幾つもの世代が移り変わり、その日がとうとうやってこようとしていました。それは、預言からおおよそ700年もの月日がたったある日のことでした。 神の使い、ガブリエルがガリラヤのナザレに住む、マリアという処女の所にあらわれました。そして、重大ニューズを伝えたのです。「あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」(ルカ1:31-33)待ちに待った救い主の誕生、そして、マリアが救い主の母親となることを告げたのです。 それは、マリヤにとって息をのむような信じがたい大きな知らせであったことでしょう。彼女は、この時、13から14歳頃の年齢であったと言われています。聖書から読み取れることは、彼女はその時、ダビデの家系に繋がるヨセフという人と婚約をしていたこと、また、のちのマリアの賛歌(ルカ1:46-55)からわかることですが、彼女は、貧しく、低い身分のものであったということです。しかしながら、主なる神への信仰、そして、彼女が救い主の誕生を心待ちにしていたことも伺われます。しかしながら、その為にこの自分がこの大きな役目を受けるとは思ってもみなかったことでしょうし、非常に恐れ多かったのではと思うのです。しかも、その為には、大きな二つの難問が彼女には、ありました。 第一に、神の力、すなわち、聖霊によって子が授かるということ。人間的価値観の中で、マリアは、到底不可能と思ったにちがいありません。マリアは、こ...