聖書の話 2026.08.30
【聖書箇所】創世記2:25~3:7 【説 教 題】人類最初の罪 【中心聖句】主イエス・キリストを着なさい。(ローマ13:14) 【説 教 者】黒田 明 【新 聖 歌】343罪に満てる世界 今回は、神によって造られた最初の人間アダムとエバに注目してみたいのですが、どうぞ2:25と3:7をご覧ください。ここを読んで比較してみると、どんなことがわかるでしょうか。まずは2:25のアダムとエバですが、彼らは裸でしたが、お互いにそれを恥ずかしいと思っていませんでした。ところが3:7に至っては、裸であることがお互いに恥ずかしくて、各々ある部分を隠さないではいられない間柄になってしまっているのです。要するに、神によって造られたアダムとエバは、最初、どこをどう見られても恥ずかしくない。隠し事もない。ましてや、やましいところなどない。それこそ、理想的な状態にありました。ところが、彼らが犯してしまった罪の結果は、あまりにも一変してしまったのです。なぜなら、彼らは裸であることを恥ずかしく思うようになりました。また人には見られたくない、知られたくない…、そのような部分を隠すようになりました。さらには、イヤなことや気まずいことがあるとすぐに逃げ隠れしてしまう…。そのような彼らの姿を聖書の中に見ることができるからです。 では、私たちはこの点でどうでしょうか。理想的には、心を開いて相手と話をしてみたいし、またそのためには自分のホンネで話さなきゃと思うのですが、現実はなかなかそのようにはいきません。むしろ、私たちには劣等感や影なる部分があって、なるべくならそれを人には知られたくないし、見られたくもないし、また人に触れられたくもないと思ってしまっているわけです。そして、相手がもしそこに深入りしてくるようなら、「もうこれ以上はダメ」と心のバリヤをはってしまうこともあるわけです。要するに、このような私たちの姿は、それこそ3:7のアダムとエバの姿と同じというか、私たちは自分の本当の姿を隠さないではいられない。また、イヤなことがあるとすぐに逃げ出してしまいやすい。そのような存在ではないかと思うのです。 ところで、3:1をご覧ください。はじめに誘惑されたのはアダムでなくエバでした。しかも誘惑してきたのは、ここでは「蛇」とありますが、聖書の他の箇所から、その実体はサタン...