聖書のお話2025.08.17
聖書:I列王記3:5-9,16-28
題:主からの知恵
中心聖句:あなたがたのうちに、知恵に欠けたている人がいるなら、その人は、だれにも惜しみなく、とがめなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。ヤコブ1:5
賛美:291神の国と神の義
説教者:グレイ恵子信徒教師
おはようございます。今日は、「神の知恵」という題で、お話をさせて頂きます。
まず、「知恵」とは、なんでしょうか。辞書には、「物事の筋道がわかり、うまく処理して行ける能力」なっています。ただ物事の道筋がわかっただけでは、それは、知識で、知恵ではありません。簡単にいいますと、「知恵」は、物事を知り、それを上手に処理して行ける能力です。
さて、今日のお話しには、どのような知恵が語られているでしょうか。聖書の中で、知恵と聞き一番先に浮かんでくる人物は、やはり「知恵の王」といわれているソロモンでしょうか。ソロモン王は、先週登場したダビデ王の子で、イスラエルの第三番目の王様です。彼は、エルサレムに神殿を建て、イスラエル王国の最盛期を築いたと言われています。
ソロモンが王になったのは、ダビデの死後、20歳前後の頃と言われていますが、彼が王になったある日のこと、主なる神が夢で彼に現れ、次のように言われたのです。「あなたに何を与えようか。願え。」ソロモンへの神の寛大な問いかけでした。この問いに対してソロモンはどのように応答したでしょうか。それが、今日の6-9節に書かれていますが、その応答を通して、ソロモンの主なる神への敬虔さ、及び彼の王としての使命感が深く感じられて来るのではないでしょうか。
まず、主なる神への感謝から始められています。それは、父ダビデ王に対する神の恵への感謝、そして、つぎには、その恵みの継承として、自分の立場を自覚しています。それらは、神がダビデ王と結んだ神の契約を思い出させるのではないでしょうか。第二サムエル7章16節には次のようにあります。「あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」その契約の中にソロモン自身が選ばれているという自覚が彼にはあったのでしょう。しかしながら、決して高慢にはなっていません。自分の弱さや恐れを素直に認め、主なる神に告白しています。「しかし私は小さな子どもで、出入りする術を知りません。そのうえ、しもべは、あなたが選んだあなたの民の中にいます。あまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど大勢の民です。」(7-8)自分の能力のちいささと、課題の大きさが述べられています。
そして、いよいよ、ソロモンは自分の望むものを主にお願いします。「善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。」(9)この願いは、主なる神の心に叶いました。主なる神は、ソロモンの願った王としての聞き分ける心を与え、さらには、彼の願わなかった、富や誉れ、そして、長寿を約束されました。神は、この夢で、ソロモンが、何をもっとも大切にしているかを、試したのではないかと思われます。
さて、いよいよソロモンの知恵を試す機会が来ました。それが、今日の16-28節の出来事です。二人の遊女が、解決がつかない難題を持って、王の所にやってまいりました。二人は、同じ家に住み、3日違いで両方とも子どもを産みました。夜中のこと、一人の女が不注意にも、子どもの上に伏し寝してしまい、その子は死んでしまったのです。しかし、その母親は、その死んだ子をもう一人の女の赤ちゃんとこっそり交換してしまったというのです。目が覚め、死んだ赤ちゃんを見つけた女の人が自分の子ではないと騒ぎ出しました。問題は、だれが死んだ子の母親で、誰が生きている子の母親かということです。二人とも、生きているのが、自分の子であると主張しています。しかも、家には二人だけで、手掛かりとなる目撃者がだれもいないのです。
さて、この難題をいかに解決できるでしょうか。真実は、この二人の女の心の中にあるのみです。そのこころを探るほかありません。ソロモンが注目したのは、二人のこころ、特に子を思う母ごころに注目しました。それが、25節の王の命令となりました。「生きている子を二つに切り分け、半分をこちらに、もう半分をそちらに与えよ。」そのことばを聞いて、二人の女の反応は大きく分かれました。一人は、相手にその子をあげて、命を助けたいと願い、もう一人は、その子を切り裂き、半分ずつにすることを願いました。それを聞いたソロモンは、前者の中に真実の母ごころを見てとり、その子は、無事に母親の元に戻されたというのです。そして、このさばきの様子を聞いたイスラエルの民は、ソロモンの中に神の知恵を認め、王を恐れたということです。(3:28)
みなさんは、この話からどんなことを思われたでしょうか。何というソロモンの知恵であったでしょうか。お見事です。しかしながら、その知恵は、彼の知恵ではなく、主なる神がソロモンに与えた知恵でした。そして、イスラエルの民もそのことを知っており、王を恐れたというのです。主に栄光が捧げられたのです。ヤコブ1章5節には、つぎのことばがあります。「あなたがたのうちに、知恵に欠けたている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」
今、私たちは、どんな難題をかかえているでしょうか。それは、教会の問題でしょうか。家族の問題でしょうか。それとも個人の問題でしょうか。その複雑さゆえ、あきらめ、もしくは、行き詰まっているでしょうか。是非、今日のみことばを信じ、惜しみなく与えて下さる主なる神に問題解決の知恵を頂こうではありませんか。必ずや主なる神が与えて下さると信じで祈って行きましょう。父・子・聖霊なる三位一体の主なる神の祝福が私たち一同の上に豊かに臨み、解決の道を与えてくださいますようにお祈り致します。アーメン
あなたがたのうちに、知恵に欠けたている人がいるなら、その人は、だれにで
も惜しみなく、とがめなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えら
ます。 ヤコブ1:5